ヴラド・ツェペシュ(ヴラド3世)
1431年11月10日 - 1476年12月19日

・フランス「ドラキュラ伯爵のモデルだっけ?」
・ヴラド3世「そのようだな…。」
・ルーマニア「…今回は、“護国の英雄”としてのドラキュラ公を紹介しよう…。」

ヴラド3世…この方はツェペシュ(串刺し公)やドラコ(竜の息子)など色んな呼ばれ方をしているが、ここではドラキュラ公と呼ぶことにする。
この方は15世紀のワラキア公国(今のルーマニアあたり)の君主。
日本では室町時代、応仁の乱とかの時代になるかな。
当時の我らルーマニアことワラキア公国はオスマン帝国、
ハンガリー、ポーランドという列強国に囲まれていた。
その為、ドラキュラ公は子供の頃から大変な苦労なさった…。

お父さんのヴラド2世の時代にオスマン帝国に敗れて、
ワラキア公国はオスマンに臣従する事に
ドラキュラと弟ラドゥはオスマンの人質にされる
その後、お父さんと長男が何者かに暗殺される!
ドラキュラはオスマンの支援によりワラキアの君主になるが…
ハンガリーが攻撃しやがったので、モルダヴィアへ亡命
しかし!亡命先のモルダヴィアの君主が病死!
今度は自分を追いやったハンガリーの元へ
1456年にドラキュラの「はとこ」がワラキアで
独立しようとすると…
「調子に乗ってる」と思ったハンガリーは「ドラちゃんの方が言うこと聞くよね」として、かわりにドラキュラ公をワラキアの君主にする
君主となったドラキュラ公はワラキアの中央集権化を進めた

1459年、あのオスマン帝国が貢納金を増額してきやがったので、ドラキュラ公はこれを拒否!
これにキレた最強のオスマン皇帝「メフメト2世」は兵を挙げる!
その男メフメト!古代ローマ帝国を完全に滅ぼした男!
1453年5月29日…彼の軍は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都コンスタンティノープル(今のイスタンブールね)を陥落させた!
ヨーロッパ…特に東欧や南欧の人々は彼を本気で恐れた…。
メフメトが亡くなった時などは、ローマ教皇やキリスト教の聖職者やローマ市民など歓喜して、祝祭を開いたほど!

そんなメフメトに、ドラキュラ公はゲリラ戦、焦土作戦、夜襲で対抗する!
これぞ寡兵で防衛戦する時の基本…だよね!
その後、ワラキアに入城したメフメトを待っていたのは…
「串刺し刑死者からなる約2万人の遺体の“森”」だったそうな…!
おお…!恐ろしいドラキュラ公…!
まあ、串刺しの大量遺体はやり過ぎかもしれないが…。
これはいわゆる、コラテラル・ダメージというものに過ぎない…
軍事目的のための、致し方ない犠牲だ。
…っていうか、オスマン帝国の方がもっと暴れてるよ!

その後、メフメトはドラキュラの弟ラドゥを支援し、軍の指揮官にする。
さらに、ドラキュラから離反していたワラキア国内の貴族達を糾合させ、彼を追い落としたのであった!
さすがローマ帝国を滅ぼした男だ…。
そして泣き面に蜂!
ハンガリー王マーチャーシュ1世がドラキュラ公をオスマン帝国に協力したという罪状で捕らえられ、幽閉してしまう。
面倒なオスマンとの戦いを避ける為の口実だったそうだ。
しかも、幽閉を正当化する為、ドラキュラ公の残虐性をことさらに広めやがった!
「人の肉を食ってる」とかなんとか!
悪質なプロパガンダだ!マーシャーシュめ!
こんな野郎が向こうじゃお札の顔になってんだぜ!?
……10数年間の幽閉の末…ようやく解放される。
再びワラキアの君主となるも…ドラキュラ公はオスマン帝国との戦いで戦死してしまう…。

・ルーマニア「国を守った英雄を吸血鬼扱いしやがって…!ハンガリーめ…!」
・フランス「“残酷”ってのは、ハンガリーのネガティブ・キャンペーンだったのか…。」
・ヴラド「現代ではインターネットがあるからな…毎日誰かのネガティブ・キャンペーンでいっぱいだ…。」
・フランス「エロ動画もね♥東欧系ドラキュラコスのポルノとか♥」
・ヴラド「すげー変態。」



●背景素材 由羅(ピクシブより)
血液2












活動内容・方針